宛て先についての抜き書き

以下、内田樹『街場の文体論』より。“でも主の言葉は一意的に、直接的に、アブラハムに到来し、いかなる解釈も許さないメタ・メッセージでした。あdから、アブラハムはメッセージの意味を訊ねるということを思いつかなかった。メタ・メッセージはずばりと、すべての解釈可能性を退けて、いきなり人間に届くからです。”“族長や預言者に呼びかけたときに、主は「宛て先」をはっきりと指示しました。受信した人間はそのコンテンツを理解するより先に、「あなたは存在する。私はあなたが存在することを求めている」という主からのメッセージを理解したのです。人間はその贈与への返礼として、同じ言葉を神に返した。その瞬間に一神教信仰が成立した。”
そういえば創世記22:1やイザヤ書6:8の、アブラハムやイザヤの神への返事はヒンナニー(私を見て下さい)だ。神の言葉が紙飛行機のように飛んできて、そのとんがった先っちょがアブラハムやイザヤという名前にぐさっと刺さる。神さま、私をよく見て、私へとよーく狙いを定めて下さいねと。