知らなかったという喜び

内田樹『街場の文体論』を読了。面白かった。誰に向かって、何を伝えたいのか、という語るにあたって当たり前のことを、気持ち良く再確認させて頂いた。自己拡張型の勉強では知識が増えても成長はなく、「教えて下さい、分からないんです」と他者へと開けた態度がそれへと至るとも。
神学部で受けた、いろいろな講義を懐かしく思い出していた。神学部に入って何が面白かったって、それまで教会で「だいたいこんなのが信仰だろう」と思っていた(というかそんなふうに言語化さえしていなかった)ことが、ことごとく打ち破られていった体験。
それはたんに「今までのあなたの信仰や思考は間違っていたから訂正しなさい」と迫られたのではない。今までのあなたの考えは考えとして、そういう考えの前提になっていた地盤とは異なる地盤が、ほら、こんなところにあるぞ、足を踏み入れてみないか?と。そんな誘いが大学には満ちていた、ということだ。
教えられる体験についてもっと遡れば、小学校や中学校なんかでも、美術の時間に近所の美術館に行ったり、音楽でレコード鑑賞があったり、そういう体験が目からウロコだった。武満徹の音楽を聴いて「なんじゃこりゃ?」とか、現代彫刻を見てその驚きを詩で表せ、みたいな授業は、子ども心にわくわくした。自分の知らなかった世界との出会いである。