欲望者の欲望に欲望する

神学部の授業で思い出深いのは、歴史神学の最初のレポートを出した時の、先生の「わたしは君たちのちっぽけな体験談なんかに何の興味もない。扱ったテキストに何が書いてあったのかをまとめろと言っているんだ。60点以下は全員書き直し!」。もちろん書き直したクチだった。
あと、宗教哲学の先生が唯名論実在論を講義したときの、「うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、君たちならどっちを食べる?意外かもしれないが、たぶんヒトはうんこ味のカレーを食べるんだ。」。あのときの衝撃は半端なものではない。興奮していろんな人に言いふらしまくるたびに変態扱いされたが・・・・・
内田樹の言う「欲望者(師)が欲望する姿に欲望する(弟子)」という例で思い出すのはコプト語の講義かな。意味が分からないので先生に質問したら、先生も意味が分からず、目の前で新旧さまざまな本を広げ始めた。探求する姿を見せつけられて、「かっこいいいい!!!!」と憧れたものだ。で、真面目に勉強。
神学部で勉強したことなんて、記憶としての知識はほとんど忘れてしまっている。だけど「探求の仕方」を教わったことは決して忘れていないし、忘れられない。だから忘れた知識で必要なことは繰り返し調べることができる。また、調べるのが楽しいので、調べるうちに、そもそも勉強していなかった新しい知とも出会えるというわけだ。