暴力についての思い出

子ども時代に受けた教育の影響って大きいんだなと。わたしも中学時代に木刀で威嚇する学年主任を前にして、「なんて薄気味悪い猿なんだ・・・・・」と思ったことについて、いくら論理的に説明したり修正しようと思っても、もうどうしようもない。ほんの数学年年下になると、同じ学校出身なのに様子が全然違うのに驚く。男子丸坊主、女子おかっぱか三つ編み、基本説教ではなく鉄拳制裁と「しばくぞ!」という罵声、そういう先生ばかりだったのが、ほんの数年後の後輩たちにとっては、まるで戦前の話のように受け止められたわたし、現在40歳。
なんだろう。「教育神話」ってやつの、ちょうど終焉期ぎりぎりにさしかかっていたのかな?職員室で教師に頭半分だけ剃られて廊下に放り出され、他の生徒たちに嗤われる生徒とか、ごく日常だったし。
とか言いながら、わたし自身も学級委員長をしていて、誰かを先生に告発したり、そういう生徒を先生と一緒に嗤ったりしていた「戦犯」だったわけで。アウェイになりきれるほど冷静で客観的だったわけではない。
従わなければ文句なしの「制裁」が待っているというなかで、しかしわたしの友人は殴られても殴られてもマイペースだった。そんな彼に、内心崇敬にも似た羨ましさを感じていたものだった。自分はつねに屈していたから。彼から早熟のニーチェやらキリスト教やら、砂が水を吸うように教わった。そして教会にも通うようになった。
体罰」ってくくりだけで振り返ると、なんかおそろしげな少年時代だな・・・・実際にはそれなりに楽しかったはずなんだけど。 山中や空き家を秘密基地にしたり、教師を風刺した新聞をこっそり作ったり。