ニコライ堂へ

ツイッターで知ることとなったクリメントКлимент北原Σίμων 神父さまと少しでもお話ができればと思い、出張の帰りにニコライ堂へ。洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼を祈念?する礼拝だったらしく、礼拝終盤の一部を見学できた。暗い堂内に灯る無数の灯明。荘厳な司祭たちのふるまい。お盆のような皿の、聖体?の残った破片、粉のようなもの*1を頂いた。正教徒ではないとお断りしたのだが、「いえ、大丈夫です」と。大丈夫だったのかな?礼拝堂の外、境内の一角では人々が集まり、聖水?を頂く姿も。
クリメント神父さまから、ドストエフスキーの正教理解は特異どころか全く普通であること、『カラマーゾフの兄弟』の最後のアリョーシャと子どもたちのかけあい“「あの子の、消えることのないすばらしい記憶が、これからのち、永遠にぼくらの心のなかに生きつづけますように!」「そうです、そうですね、永遠に、永遠に」”(亀山郁夫訳)はドストエフスキーの文学的独創ではなく、正教の信徒なら誰でも知っている、死者を想起する祈りの言葉を引用したものであることなど、丁寧にご説明頂いた。別館で正教の本をたくさん買った。
撮影禁止なので記憶にとどめよう。ろうそくのすすで黒くなったイコンを。灯明の明かりに、乾きひび割れた木目の凹凸が光る。
それにしても、ツイッターで神父さまをフォローしていなければ実際に出向くことはなかったかもしれないと思うと、インターネットの恩恵を思わずにはおれない。

*1:御聖体となる祭品を切りとった残りの部分で、アンティドルと呼ばれるらしい。あとで神父さまにツイッター上で教えていただいた。