理想と現実、現実と理想

教会の映画鑑賞会で『スミス都へ行く』を観る。1939年のアメリカ映画だそうだが、テーマがまさに「今」なのに驚く。もちろん古い映画なので単純化・戯画化されているが、民主主義や議会政治の理念を、地方から出てきた純朴な青年および子どもたちの眼差しをとおして描いていた。
主人公が「異なる民族や異なる立場の者同士が云々」と演説する場面があって。そりゃまあ合衆国はむかしから民主主義なんだから、そういう台詞があるのは当たり前といえば当たり前なんだけど、1939年にこれかよ、と。そんな時代にすでに「当たり前」なことに驚愕したのだった。
チャップリンの『独裁者』が全世界を視野に入れている分、夢想的な要素がどうしても強いのに対して、キャプラの『スミス都へ行く』は、上院というごく限られた範囲の話に絞っているため、戯画的ではあっても現実感があった。
でもキャプラもチャップリンも「赤狩り」で苦労を強いられたらしい。民主主義を描いた人間が民主主義国家から睨まれるというのは、それが現実なんだといえばそうなんだけど、やっぱり納得がいかない。