テレビ雑感

録画しておいた『カラマーゾフの兄弟』を観ているんだけども。小説で感じたあの親近感が無いなあ。なんか遠〜い世界の、自分とは無縁のハナシというか。みんなのオーバーアクションも、ドストエフスキーカーニヴァルというよりは80年代のバブル絶頂期トレンディドラマのバタ草さというか。なんだろうなあ。解釈の違いかなあ。
録画しておいた『日本人は何を考えてきたのか』第12回の平塚らいてう市川房枝の回を観た。彼女らの「母性」概念が、ナショナリズムと合流してしまった経過には厳しいものがあった。ある目的を達成するための、手段における妥協の問題というか。
考えてみれば「母なる」大地とか「母」国とか自由の「女」神とか、そういった概念はおおむねナショナリズムの発展とともに男性たちによって醸成されてきたものでもあった。
ゲストの方々による母─子の語りも、説得力あるものとはいえ、独身女性や子どもを産まない決意をしている女性、さまざまな状況で産むことができない女性という視野は薄いようにも思われた。まして男性あるいはそもそも「性」それ自体は。もちろん一個の番組でそれらすべて語り尽くすのは不可能ではあるのだろうけれども。
おのれの身に振り返るなら、正直「お子さんはおられないんですか?」と驚いたように聞かれるのは、なんとも嫌なもんだ。若い牧師なら子どもの2、3人いて当然でしょう、みたいな。まあ実際、たいていの知り合いの既婚牧師夫妻には子どもがいるんだけど。