「言葉」それ自体

“一九六〇年代、来日したパウルティリッヒという宗教学者が、安田理深先生と対話をしたときに、「私はどうしても宿業というものがわからない」とおっしゃいました。キリスト教では、この私というものは神様がつくったものであり、原罪をもらったと考える。前世というものはない。いったいどう解釈したらいいのか、と。安田先生は、「存在というものは、必然と自由の複合概念である」といいました。そして、「宿業とは、必然と自由を一語で表したものである」と。”(本多弘之)
ニー仏さんが翻訳したウ・ジョーティカ『自由への旅』の三まで読む。壮大な小説を読んでいるような面白さ。西田幾多郎純粋経験という概念を練り上げる前、ひたすら禅の修行をしたというけれども、たしかにあんな発想は机の上では決して出来ないと、このテクストを読むにつけ思う。
日常生活では殆どあり得ないことだが、瞑想においては、あらゆる言語、あらゆる概念から自由になる体験があるという。否、たぶんそれが言語の基底なのだろうけれど、「基底」と言った途端にそれは概念化・対象化しているわけで。言葉を持たぬ猫の体験を人間がもう一度取り戻すには、深い瞑想が必要なのだろう。
途中に、初心者は安全な場所や信頼できる人と一緒に、みたいな注意が書いてあった。あまりに集中して、意識が溶解し、帰って来なくなる危険があるのかもしれない。もっとも、そこまで集中するだけでも相当な訓練が要るのだろうけれど。
『自由への旅』はニー仏さんのサイトhttp://neeken.net/translation/ から読める。テーラワーダ限定なのだろうけれど、「仏教」という言葉でどんな状況を想定したらいいのかの、貴重な資料だと思う。
あと、読みながら、ハイデガーが「存在者が存在する」というときに、その後半部分のほうの「存在する」をひたすら突き詰めて行ったことも思いだした。「○○が存在する」というときの、あれこれの「○○(主語)」ではない、述語そのもの、「存在する」ということそれ自体への旅。
単純に同一視してはいけないが、前任地時代、毎朝早くに、師と共に礼拝堂に正座し、祈りを捧げたのを思い出す。師は、わたしが起きてくるよりも前、日の出と共に祈り始め、わたしが幼稚園の仕事のために退室した後も祈り続けていた。彼女は死ぬまでそれを続けた。暑い日寒い日、一心に祈る師の背中。
師が天へと召された後、ばたばたと仕事を「こなす」ようになってしまい、次第に朝の祈りもおろそかになっていった。ジョーティカの言説ではないけれど、静かに集中して祈ることが無くなると、錨の千切れた船のように翻弄されてしまう気がする。目先の認識や概念に左右されるのだ。
次の任地でも幼稚園の忙しい職務が待ち受けているが、心静かに祈るときを大切にしたいと、あらためて思った。