今は戸惑おう

呉寿恵『在日朝鮮基督教会の女性伝道師たち 77人のバイブル・ウーマン』(新教出版社)を読み始める。朝鮮半島における女性の位置づけの歴史が説明してあるところで、ふと思い出した。
ある在日韓国・朝鮮人系の教会に委員会で出かけた時に、女性たちが豪華な料理を作って下さった。しかしわたし達が食べる時には決して同席せず、接待して下さるのは男性の牧師のみ。「一緒に食べませんか?」と誘っても、彼女たちは必ず別室に控えていた。何度か委員会はもたれたが、いつもそうだった。あれはたんに恥ずかしいとかじゃなくて、文化的背景なのかもと。いずれにせよわたしは在日の歴史を知らなさすぎることでもあり、この本を読み終えるのを楽しみにしている。
第1章 創設期(1908〜1924)まで読む。3・1独立運動に先駆けて、まず日本にいる朝鮮留学生たちによって「2・8独立宣言」が東京でなされたという。その直後に日本を辛くも脱出した人々が、3・1に大きな影響を与えたと。そして朝鮮におけるプロテスタントの発生のごく初期の段階から、日本での朝鮮人たちによる積極的な海外宣教師の招聘活動があったことや、プロテスタント教会が日本からの独立運動の思想的実践的拠点となったことなども学ぶ。在日─プロテスタント─半島独立、の有機的繋がり。
当然ながら呉寿恵の記述で目を引いたのは、そのなかにおける女性クリスチャンの活動である。19世紀末までのきわめて低い女性の地位から女性たちが目覚めるにあたり、キリスト教が大きなターニングポイントとなったこと。創設期においては、民族独立と女性解放とは一つの目標であったことなどを学ぶ。
個人的には黄信徳(ファンシンドク 1898〜83)の生涯が印象に残る。吉野作造山川菊栄との交流、果敢な女性解放と民族独立への挑戦。そしてそのなかでの、大戦末期の日本への協力。2003年の韓国政府による「過去史清算」事業による「親日人名事典」への名称掲載。
境界線に立たざるを得なかった彼女が、どのような思いで日本に「妥協」したのか。また、戦後どのような痛みを秘かに抱えて女性運動に携わったのか。その没後に「親日人名事典」に掲載されなければならない、ということもまた、一つの痛みではないのか、等々・・・・・
黄信徳が大戦末期に日本に協力したことについて、生前一度も公式に謝罪しなかったことが、「親日人名事典」掲載の大きな根拠であるようだ。著者の呉寿恵も“公に反省し、悔い改めることがなかったことについて、今後さらに批判的検討をしていかなければならないだろう。”(51頁)と書いている。
この一文を前にしたときに、わたしが感じている戸惑い。わたしはたぶん平和ボケした日本人として、「なにもそこまで糾弾しなくたって」と、ほぼ反射的に感じてしまっている。著者の呉寿恵氏との、おそらくは歴史認識、というよりも歴史への肌感覚の温度差。この戸惑いをどう処理したらよいか。
やっぱりこういう問題をツイートすると、どうしてもフォローして下さっている方々に流動があるな。でも、これでいいのだ。わたしはこれからも自分の「やわらかいおなか」を晒し続けたらいいのだ。共感して下さる方、異論を抱かれる方、それぞれに多様であって当然ではないか。気にしてはいけない。