先ず隗より始めよ

『在日朝鮮基督教会の女性伝道師たち 77人のバイブル・ウーマン』(新教出版社)の第2章 成長期(1925〜1933)まで読む。日本で生まれた子どもたちが母国語を学ぶ場として教会が用いられた様子、幼稚園設立の経緯などを学ぶ。神戸女子神学校など、日本の神学校への留学生の活躍も。
カナダやアメリカ、イギリスの諸教派が在日朝鮮人への伝道を行ったが、教派ごとに団体を作らずに、合意の上で朝鮮基督教会という一つの教会を成立させた様子も学ぶ。貧しく、職を求めて転居も多い人々への伝道を機敏に合理的に行うために、まずは福音を優先させたのだろう。
それにしても女性たちの日本語や英語などの学習の素早さというか集中力に驚愕する。学び始めて数年で伝道者として活躍する。名古屋、京都、サハリンという広範囲で活動している人もいる。賀川豊彦と交流を持ち、麻薬中毒者や極貧の人々に伝道した、と。想像を絶するエネルギーである。
今とはぜんぜん違う背景で、やれること、やらなきゃならないことを精一杯やっていった人たちの歴史に触れるのは、やはり嬉しいものだ。わたし自身の小ささを思い知らされ、また、小さいからこそまだ大きくなり得る余白、すなわち今、そしてこれからやらねばならないことについて、瞑想させてくれる。
昨日読んだ『ミニストリー』の特集“「自死」と向き合う”。たしかに、さっきまで読んでいた在日朝鮮人の歴史とは何の接点もないように思える。しかし、それでも通じるものもある。傷つき疲れ果てて希望を見出せない人間(たち)に、その只中に入りこむ福音宣教者の可能性。
キリスト教、とくにプロテスタントは、日本ではどんどん人数が減っている。一方では教会の灯を消してしまわないために、わたしも頑張って伝道しないといけないと思っている。しかしまた一方で、人数とは違う地平、信者になるならぬはあくまで結果として神に委ねて、目の前のこの人に関わるということ。
自分はマザー・テレサのようにはたぶんできないだろうし、ましてやボンヘッファーのように「殉教」することは恐ろしい。しかし彼らとて無我夢中、「気が付いたらそこまで関わってしまっていた」的な部分はあろう。最初からでかいことをしようと思っていたわけではなかっただろう。