神の母、神性についての覚え書き

『正教要理』を読んでいるが、4世紀前後の神学論争もきちんと、それも一般の信徒が分かるような言葉で書いてある。ペリカンの第1巻、第2巻の復習ないしまとめに、とても助かる。あらためてマリアがテオトコス(生神女/聖母)である意味も再確認。
上山安敏『魔女とキリスト教』に、たしかフレイヤアフロディテなど女神信仰が聖母崇敬へと移行していった、というような記述がある。一般にもそう思われているかもしれない。もちろんそういう側面もあるだろう。まして民衆レベルでは。けれどもマリアへの崇敬(崇拝ではない)は、神学的根拠がある。
エスが三位一体の一位格であると信仰される以上、イエスは神であり、その神を生んだマリアは神の母(テオトコス)であるという、きわめてシンプルな理由。プロテスタントにおいては、もちろんマリアもまた一人の少女(マリアは13歳くらいという説あり)であったことに力点を置くわけだけれど。
クリメント神父さま*1に、フュシスとウーシアはそれぞれ「本性」「本質」と訳されるが、いったいどう違うのかと質問。神父さまによると、フュシスはイエスの神性について語られるときに使われる言葉だという。それに対してウーシアは父、子、聖霊すべての神たる「本質」を語る際に使用されると。また、以下のリンクを教わる。Chalcedonians and Monophysites: Do We Share the Same Beliefs?
この説明によると、どうやらフューシスは地上の人間の目からイエスさまの本性を語る語彙に属し、ウーシアは超自然、超越的な地平で三位格の本質を語る際の語彙に属するようだ。また、プロソーポンは顔つまり位格の表れに力点があり、ヒュポスタシスは位格の性質、在りように力点があるようにも読めた。とても学びになった。