坂本幸男・岩本裕訳注『法華経(中)』(岩波文庫)の、ようやく「授学・無学人記品」まで読み終わる。その前の「五百弟子受記品」に出てくる譬えが面白かった。
ある人が友人が泥酔するあいだに、その人の衣の裏に高価な宝を縫い込む。酔いからさめた彼はその後極貧に耐えるが、それなりに自足する。そこに先の友人がやってきて、「そんな生活に満足しているのか。衣の裏にわたしが宝物を縫い込んでやったものを。それを使って贅沢に暮らしなさい」と。独覚や声聞に満足しないで真の悟りを得なさいよ、という意味なんだろうけれど、その悟りが実は自分がいつも持ち歩きながら気づかないものだという。
「真理とは、実は自分の身近にあるものだ」と言ってしまえばそれまでなんだけれど、そこに至るまでのプロセスというか、目の前の真理に辿り着くのに逆向きに地球一周するような苦労を重ねる、人間のみちゆきのダイナミズムを、こうした譬えからゆたかに感じる。