明るい絶望

録画しておいた『歴史秘話ヒストリア』の空海*1を見る。うーむ。『性霊集』か。欲しい。その本文に触れてみたい。でも値段が・・・・講談社学術文庫あたりで出して欲しいなあ。
それにしてもあの「益田池碑銘(大和州益田池碑銘並序)」という書の空海の文字って、絵画だな。デザインというか。あれは他の人は読めたんだろうか。いや、読めたからこそ他の人に文意も伝わっているんだろうし・・・文字をほぼ新たにデザインして創作し直すって、どうやって文字の「読み」を伝えたんだろう。すごすぎる。
後白河法皇梁塵秘抄』読んでいたらこんな歌が。“阿弥陀仏誓願ぞ 返すがえすも頼もしき 一度御名を称うれば 仏に成るとぞ説い給う” 法然親鸞によって体系化される前の民間信仰なのだろうか。平重盛もこのような信仰に至っておれば、あるいはあのような苦しい死を免れたろうか。
“我等は薄地の凡夫なり 善根勤むる道知らず 一味の雨に潤いて などか仏に成らざらん” 一味の雨とは、善人にも悪人にも等しく降る雨のこと。マタイ5:45“父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる”を思う。
もちろん『梁塵秘抄』は「今様」、つまり当時の流行り歌、ダンスミュージックみたいなもんでもあるんだから、信仰的痛悔の念において口ずさんだというよりは、気持ち良く歌ったのだろう。「ま、おれたちどうせ救われないんだけどさ、えへ」みたいな、庶民の力強い、朗らかな諦念だったのかもしれない。