青春語

小田垣雅也『それは極めて良かった』(LITHON)読了。彼は二重性とか途上とか中途半端といった語彙を「青春語」と呼んでいる。老境を迎え、これらの言葉が、決して到達し得ぬものを求めた青春時代に通じると、あらためて分かったと。わたしは「青春語」を瞬時に脳内変換で「中二語」(厨語)と読んだ。
自らが完結していないこと。自我が自我であることは受け入れつつも、それは独立した自我ではなく、他者との「間柄」において相即的に生成していること。真理を目指し探究しつつも、自分が獲得する真理や自分自身もまた消滅するのであり、だからこそ美しいと知ること。これらが青春語で語られる。
未完であることに苦しみ振り回されつつも、どこかでそれを諦め愉しむような生き方ができるのなら、中二病も悪くはないではないかと思ってみたり。