気付かれぬ苦しみに気付きたい

ヘンリー・ジェイムズ『デイジー・ミラー』(行方昭夫訳)を読む。彼女の無垢な奔放さが彼女を封建的な社交界で孤立させ死に至らしめる、性的ではないとはいえファム・ファタル的な要素も含んだ作品だ。とはいえ、むしろデイジー・ミラーは何らかの発達障害の苦しみを負っていたのではないかと。
現代で言う自閉症スペクトラムのさまざまな症例を、19世紀の作家が小説に描けば、innocent(無垢/無責任)でunsophisticated(未熟、品が無い/純真、純粋)と解釈したとしても不思議ではない。なにより彼女の唐突な言葉、相手とのかみあわなさが。
過去の時代において発達障害の当事者が、周囲にそうであると認識されず、本人もそうだと気づかず、相当な苦しみを負ったであろう消息を、おぼろげながら想像した。もちろん現代でも発達障害にどのように向き合うのか、課題は重い。