線引き

 シュロモー・サンド著、高橋武智監訳、『ユダヤ人の起源』浩気社、2010を第二章まで読む。
 “識字率が低く、教育制度も、単一標準言語もなく、内部情報の流通もほとんど存在しなかった(読み書きのできる住民の割合が非常に低かった)農民社会では、わずか一、二部しかない聖書が物神崇拝の対象として利用されていた可能性はあるが、イデオロギー的な共通の絆の機能を果たすことはありえなかったであろう。”(同書196頁)
 “シェークスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』は、古代ローマについて何一つ教えてくれないが、十六世紀末のイギリスについては多くのことを教えてくれる。この事実を認識したからといって、作品の持つ力強さは少しも減じはせず、ただ、作品の歴史的証拠としての価値をまったく異なる観点のもとに置き直すに過ぎない。一九〇五年の革命時の出来事を語るセルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』が、世紀初頭のその反乱について教えるところはほとんどゼロで、映画製作の年、一九二五年のポリシェビキ体制のイデオロギーについてはずっと多くの情報を与えられるのと同様である。”(同書200頁)
 大学時代の旧約聖書学(たしか文芸批評、と呼ばれていただろうか)ですでに学んでいたはずの事実だったが、あらためて新鮮に受け取りなおす。めぐりめぐって、あのころ学んでいた聖書の「読み」の問題に突き当たる。ただ、こうした問題を教会という場で「直接に」信じている信徒の方々とどのように分かち合えるか。前任地ではこうした話題に触れるどころか、わたしが(あらゆる問いという)その「空気を漂わせている」ことさえもが糾弾のもとであった。「教会は信仰の場で、学びの場ではない」からだ。
 わたしが洗礼を受けた教会では逐語霊感説を支持していた。地球が文字通り24時間×6で完成したこと、箱舟は最新の造船技術(ただしその「最新」はわたしが子どもの頃も、そして20歳を過ぎた頃も言われていた)によって造船されたことを信じて疑わぬ人々が多くを占めていた。そこに疑問は必要ない。
 否、多くを占めていたんだろうか?それこそほんの一部の人が「これがメジャーな信仰です」と、当時わたしや友人に声高に語っていただけなのではないか。教会というネイションを強固に他から線引きするために。