2011-11-12 てまえみそ 和辻哲郎『倫理学』を読んでいると、レヴィナス『神・死・時間』をどうしても思い出す。他者へと曝され、他者へと明け渡されることにおいてのみあるような個人。ハイデガーを批判的に継承したレヴィナスのこうした側面を、和辻は仏教的な「空」とヘーゲル哲学の否定概念のゆたかさを用いて語る。 キリスト教が家でひとりで聖書を読んで分かるのではなくて、摩擦あり挫折ありうんざりあり、ほんとうにいろいろありながらも礼拝という時間、礼拝堂という空間、他の出席者の声、存在、かかわりあいというただなかでこそ体験されるという事実を、明確に浮き上がらせてくれる。