まあいいだろ

 礼拝でヨハネによる福音書6:27〜35から、イエスは霊のパンであること、たとえ人は飢えても、死んでさえも霊の糧に生かされるというメッセージを聴いた。皮肉にもわたしは昨日の疲れがとれず礼拝中始終憂鬱で、教会の帰りに食べた天丼によって陽気になるという、まさに礼拝で指摘された愚を生きた。
 和辻による動作と行為との区別が面白い。乳児は動作するが行為しないという。つまり行為はつねに他者との関係性においてあると。ひとりで食事をするときでさえ、手づかみ犬食いではなく茶碗と箸であること。(ある程度成長した)人間の動作はほぼすべて行為であること。鷲田清一の身体論の先駆かも。