入れちがいに

矢川澄子著、『「父の娘」たち』、平凡社、2006を読み始める。森茉莉についての回想の「至福の晩年」を読みながら、そのタイトルもあって、違和感を覚えていた。荒俣宏による『知識人99人の死に方』で読んだ森茉莉の最期の、いわゆる「悲惨さ」が、そこには皆無であったから。ところが最後まで読んで、“わたしはここでこの原稿を打切ってしまいたい。”以下の一文を読み、深い感銘を受けた。そこには荒俣宏が報告するとおりの、否、彼の報告以上の、死の持つ過酷な現実が、きちんと書き結ばれていたからである。
森茉莉は心臓発作を起こし、咄嗟に電話をかけて助けを呼ぼうとしたが、間に合わず死亡したと推定されるらしい。そして死後しばらく経った後に発見されたという。だからたぶん、発見された彼女はまさに矢川の言う通りの“しかも茉莉さんの顔ではなかった。”という状況であったと思われる。矢川は彼女のそのような死を、せいいっぱい全力で受容しているように思われる。
こういう視点、こういう老いと死の厳しい現実への、哀切きわまるがしかもあたたかい、すなわち遺された者の責任あるまなざしが、彼女の森茉莉への評価を骨太にしている。幻想と現実とは「逃避か直視か」という言葉で二分化されがちであるし、実際しばしばそうもなるが、彼女のテクストにおいてはそうではない。面白いものだ。結びの一文で、振り返ってテクスト全体が力強く受け取り直される。
矢川澄子をちょっとだけ読んで、夜の田端駅へと散歩しながら、そうか夏季教会実習から今年で10年かと回想していた。
澁澤龍彦訳によるユイスマンスの『さかしま』を行きのローカル線の車窓で読み、寝泊まりした幼稚園舎では谷川渥『幻想の地誌学』や森茉莉恋人たちの森』を枕元に置いて、キルケゴールのドイツ語訳テクストと格闘した日々。そんな頭でっかちなわたしを受け入れ愛してくれた、教会の人々や幼稚園の子供たち。
あの夏こそがわたしの進むべき道、挫折に満ちてはいるが意味も充満する、わたしの道を決めた。幻想や浪漫を引っ提げて、現実の厳しさにぶちのめされて、おのれの弱さを痛感させられて、そして教会の人々に助け起こしてもらった、あの夏こそが。
矢川澄子は今年没後10年だという。そもそも「没後10年なのに誰もとりあげないではないか」との友人の抗議によって、その名を知った。わたしが幻想と現実との葛藤、それゆえこその幻想の真の深みを知り始めた年に亡くなった、そんな人のテクストと、こうして10年経って出遭ったわけだ。