受容は受け手の主体をも超えて

森茉莉孤独死を至福の死として受けとめた矢川澄子に、「納棺夫日記」の青木新門にも通じるゆたかさを見る。あらゆる生の在り方、終わり方をも肯定する視座。しかし矢川澄子自身は、自らの死を受容できたのだろうか、自死をその身に引き受けて。今度は読者が彼女の死を受容するばんだ。