遊ぶ決意

連れ合いに、ふと思い出した新任教師オリエンテーションの思い出を語っていた。伝道師になりたての頃、赴任した教会から10時間かけて、研修会場の天城山荘へ行った。途中に分団があって、それぞれのテーマに分かれて話し合うもの。わたしの当たった分団は、たまたま「伝道」とか「宣教」とか主催者が決めたテーマではなく、自由に決めたテーマで語り合う班だった。リーダーになった奴が開口一番、「牧師の休暇の過ごし方について語り合おうよ」。いきなりサボる気まんまんだなと、わたしもほくそ笑みつつ、お互いまだ大して働いてもいないくせに、どうやって「やすむ」かについて熱く議論。話がだいたい一区切りしたところで、オブザーバーの年配牧師が、ようやく一言。「わたしは、毎週一回、必ず妻を車に乗せて、広島の温泉までドライブしていました*1。妻の健康のために、どんなに忙しくても、これだけは守り続けました。教会の方にも理解を得ることができました。おかげで、40年(?さだかでないが、とにかく非常に長い年月)牧師を続けることがゆるされたのです。」。
わたしは当時独身、血気盛んだった。プロになってやる、ぶっ倒れるくらい働いてやるぞと意気込んでいたので、この年配牧師が何をもってそんな「奇行」をしていたのか、その真意がさっぱり分からなかった。そんなことしなくたって息抜きぐらいできるだろ。大袈裟なんだよと。
だが今日突然、このエピソードを思い出して、その牧師の顔も声も覚えていないのに、彼の断言するような語り、「妻をぜったい遊びに連れだす」気迫だけが、鮮やかに回想された。そうか、そういうことだったのか。あのとき理解できなくて、ほんとうにごめんなさい。わたしも、同じことはできなくても、あなたのような牧師でありたいです。牧師と言うか、一家庭人でありたいです。連れ合いに新任研修の思い出を語りつつ、そんな決意も新たであった。

*1:彼の任地は覚えていないが、たしか広島まで県をまたぎ、往復で一日がかりの距離だったはずである。