悪夢の色彩

帰省中に読んだ「西方の人」、背景抜きに読むとぶっとんだキリストで面白かった。若干の背景をもって振り返ると、追い詰められた芥川龍之介が、ワイルドが「獄中記」に描いたようなキリスト像に、ニーチェと対峙しながら肉薄しているような感じか。でも、テクストにはどこか気取りがある。
ワイルドにとっては無前提にアングロサクソン的なキリスト像が、日本の文人芥川が描くと紅毛碧眼、肌の白い“クリスト”の距離感を持つ。わたしはどんなキリストを信じているのか、あらためて問われる気がする。
もっとも、欧米に友人の多い人、欧米人と結婚している人、欧米で暮らす日本人なら、わたしの言う紅毛碧眼=距離感という発想自体が「どこの山猿やねんお前」の笑止の至りなんだろうが。
駅の外で連れ合いを待っていたら、すぐ近所で人身事故との掲示。あそこで飛び込んだのかなと光景が浮かぶ。東京は人身事故が多い。
うたた寝していて、「30人いた教会を15人まで小さくしておいて、人事とは厚かまし過ぎないか?」と説教されている夢を見て目が覚めた。頭がかなり痛い。記憶する限り最も絶望的に苦しい不快な悪夢だった。
自分が何者でも無いという不安が、周期的にやってくる。定職に就きたい。
録画しておいた再放送、ウルトラマン真珠貝防衛指令』を観た。今回からウルトラマンの顔がきれいになっていた。また、フジ隊員の「女性」のエロティシズムが強調され、浜辺で逃げ惑う人々も若い女性に限定され、怪獣ガマクジラも真珠を食べる「欲望の怪物」たるカリカチュアを露骨なまでに演じていた。監督の実相寺昭雄なる人物のこだわりが、子ども向けというベクトルとは何の関係もなさそうなところに向いているのがよくわかる作品。寺田農がとても若いのが、時代を感じさせる。
庵野秀明も、子どものころにこういう作品から強烈なインパクトを受けたのかもしれない。NHKという枠組みのなかで抑制されつつ爆発する『ふしぎの海のナディア』の演出には、実相寺に通じるものがある。