読んだ

姜尚中『続・悩む力』読了。ウイリアム・ジェイムズの「二度生まれ」という概念が、本書の背骨になっているように思われた。一度生まれ、平穏に生きている。やがて破滅的な挫折ないし生死の境の体験をする。その後、すべての価値観が新たな意味をもって受け取り直される。これが二度目の誕生、という主旨。また、V・E・フランクルの、「わたし」が生きる意味を問うのではなく、「意味」がわたしに、お前は今何をすべきなのかと問うてくるという説も用いられている。いたずらに遠い前向きな未来を目指すのでなく、今ここで、小さな応答の積み重ねとして、むしろ未来でなく過去を作りつつ生きると。
姜への批判としての、「家庭崩壊しているような者が『悩む力』を書く資格はない」ということについてだが、やはり批判の方向がずれていた。彼は、彼が書きたかったから書いたのだ。つまり、彼自身の苦しみに対する、彼自身の応答として。だから仮にスキャンダル報道がそのまま事実であるとしても、それは彼の著作を幻滅させるというのは順序が逆で、彼のスキャンダラスな私生活があり、その苦しみへの応答として、著作がある。少なくとも『続』については、そう思った。
スキャンダルとは、「躓き」スカンダロンに由来する。ならば、躓いて起きあがったら、躓く前とは同じ景色が違うように見えたとしても、おかしくはないではないか。