あいだをつなぐ

調べなきゃいけないことがあり、辞書を開いていた。ディアコノスについて。「仕える人」と訳されたり「執事」と訳されたりする言葉。場合によっては料理の給仕だったり。他にもメッセンジャーとか、要するに「あいだをとりなす人」という意味合いらしい。
たしかに、給仕する人は料理人と食べる人とのあいだをつなぐ人だし、メッセンジャーは主人の言葉を誰かに伝達する、あいだをつなぐ人だし、執事は主人と外部世界とをとりもつ、やっぱりあいだに立つ人だ。自分が主役や中心になるのではなくて、誰か他の主役なり主体と別の主体との、あいだをつなぐ人。
それに対して僕;ドゥロスは、主人に自分のすべてを明け渡して、主人の言うとおりに行動する人、すなわち奴隷のことだ。「仕える人/召し使い」と、「奴隷」とは、微妙にニュアンスが違う。
マタイ20:26−27で“あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。”というのは、主役を目指さずあいだを繋ぐ人に、神/人を自分に取り込もうとするのでなくむしろ自分を人/神に明け渡す人になれ、という意味合いもあるのかもしれないな。