コリント、ガラテヤ、エフェソ、・・・・・

ミニストリー』の濱野道雄「教会のライフサイクルを考える」を興味深く読んだ。前任地で、誌名は忘れたがいのちのことば社の記者から「地方伝道の行き詰まりについて」といったようなテーマで取材を受けたことがあり、そのときに初めて「教会の寿命30年説」というのを聞いた。
今回の記事にも、教会のライフサイクルは30年で寿命を迎える/再出発の転機を迎える、というような説が検討されていた。そして、いわゆる建物としての、ないし組織としての教会は「消える」こともあるということを、肯定的に捉え直していた。
前任地の教会は20人前後の礼拝出席で、「大きい教会」だった。近隣の教会は殆どが10人未満の教会、現住陪餐会員1名という教会もあった。あくまで世俗的な観点のみで言うなら、20年後にこのなかのいくつの教会が残っているか、という問題はリアルにある。みんな高齢者ばかりだから。
今度赴任する教会も、出席できる現住陪餐会員は10人いるかいないか。幼稚園の先生たちがいなければ教会行事も立ち行かない。そういうなかで、どんな「ライフサイクル」を模索してゆくか。具体的に人々と出会いながら、つねにそのことは頭に入れておこうと思う。
今いる教会は130人前後礼拝出席がある。わりと大きいなとは思う。でも前任地で、兵役を終えて旅行中の韓国の青年と話した時、「韓国の教会は大きすぎるので、青年だけの交わりが出来る小さな集会が好きなんです。300人くらいの。」と語るのを聞いて、教会の大小なんて相対的だと実感。