2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

三日目に関するメモ

スヒレベークの『イエス(第三巻)』を読み始めた。聖書にはイエスは三日目に復活したと信仰告白されているが、この「三日目」というのが、単純な時間経過のことではないらしい。旧約聖書のなかでは「三日目」というのは30回くらい出てくるという。いろい…

非難からの脱却を

大江健三郎らがひとくくりに「反日」とされる知性の貧困を思う。「日本を思って」領土に敢えて消極的であるという見解の一切が認められないのか。日本を思う=領土を守るであり、それ以外はすべて反日なのか。日本の文化や思想、歴史への愛と、領土への愛は…

NOT The End

雑誌『ミニストリー』14号に付録でついていた『死刑執行人もまた死すHangmen Also Die!』(1943年)を観た。監督がなんと『メトロポリス』のフリッツ・ラングだった。しかも原作はブレヒトだという。それだけでも貴重だが、内容は肩書きのすごさどころでは…

雑記

あまのじゃくなもので、新しい帽子を手に入れたら、よけい傷んだ古い帽子を修繕してかぶり続けたくなってきた。インターネットでいくつかの修理店に問い合わせ中。買った頃(22年前)から数年間は、まだ帽子のクリーニング屋が残っていて、3千円くらいで修理…

帽子あれこれ

それにしても、22年被って、今40歳だから、今日買った帽子がそれくらい古くなるときは、もう60歳過ぎてるんだな。連れ合いにそう言うと、「まだ生きていたらね」と笑われた。 18歳でソフト帽かと笑われるかもしれない。実際かぶり始めた頃は家族にも気味悪が…

帽子

22年間愛用しているソフト帽があるが、いよいよクラウンの部分に亀裂が入ってきた。買ったばかりの頃、まだ扱いに慣れていなくて、映画の登場人物よろしくクラウンをつまんで脱ぎ被りしていたからだ。後にそれは絶対よくないと知って止めたのだが、ここ数年…

言葉と行為がひとつに

青木保著、『儀礼の象徴性』、岩波書店、2006を「Ⅱ儀礼のことば」まで読んだ。人類学の専門用語も出てくるのでとても難しいが、テーラワーダ仏教の、タイの仏教儀礼の分析には意義深い学びがあった。人類学者が「呪術」で片づけてしまうもの、あるいは聖─俗…

きれいな上手さから教わる。

招待状をもらっていた、中学時代の美術の先生の絵が展示されている展覧会に、昨日行ってきた。先生の絵以外にも、膨大な量の会友の作品が並んでいた。プロメテウスがどうとか、宇宙がどうとか、何々の胎とか、やたらに衒学的で饒舌なタイトルが多かった。タ…

死亡はそこにある

今日は所用で出かけたが、またしても人身事故の表示あり。大げさに言えば、毎日どこか、わたしの住む近隣の地域で誰かが線路に飛び込んで命を落としていることになる。そして、日常会話としては「ちぇ、人身事故で○○線遅れてるよ」ということになる。実はそ…

手のひらのうえ

このあいだの岡田斗司夫さんと吉村昇洋さん、波勢邦生さんの鼎談を思い出していた。岡田さんが要約して「仏教の中心には何もないが、キリスト教の中心には神がいる」と語り、「神は生物?どこにいるの?」というような質問もしていた。それで波勢さんとして…

新しい使い方、新しい意味

スヒレベークは、メシアとか終末論的預言者とか人の子の概念のルーツを、ユダヤ教に聖書学的に求める。そういう意味では、これらの言葉がユダヤ教と断絶した新約のまったく新しい語彙であることを、彼は認めない。しかしそれらの言葉は元来、モーセやエリヤ…

さまざまな称号

引き続きスヒレベークに学び続けている。「メシア」の概念には基本、エッセネ派らの預言者的メシアとファリサイ派らの王的(ダビデ的)メシアの二つのイメージがあったこと。前者は未来志向(終末論)であり、後者は現代政治に幻滅したゆえの復古思想である…