“キリスト教の信仰は観念的なものではなく、具体的なものです。だからこそ、「隣人を愛しなさい」と主に言われるとき、それは「感情的に好きになりなさい」ということ以上に、「愛する」という行動をとりなさいということなのです。”( 人生を変える聖書の言…

メモ

クリメント神父さまに、「マトフェイ」など正教のギリシャ語発音について教わる。以下はすべて教わった内容。 Θ→教会スラヴ語にthの発音がなく、fと発音。 αι→εと同じ発音 すると「マタイオス」ではなく「マトフェイ」になる。 ギリシャ語の古典再建音はエラ…

以下教文館の『在日朝鮮基督教会の女性伝道師たち』より引用。“1937年以降中国侵略が本格化するにつれ、戦時体制が強化され、神社参拝の強要は集団的に実施された。全ての学生(特にミッション系)に神社参拝を強要し・・・”(142頁) 『在日朝鮮基督教会の…

補足

以下『正教要理』より“しかし、正教会は「身代わり」の概念を用いることには慎重です。ハリストスの救いに人類の身代わりという要素があることは受け入れますが、あまり強調されません。特に「(ハリストスに人間の罪を)背負わせる」という表現には居心地の…

神の母、神性についての覚え書き

『正教要理』を読んでいるが、4世紀前後の神学論争もきちんと、それも一般の信徒が分かるような言葉で書いてある。ペリカンの第1巻、第2巻の復習ないしまとめに、とても助かる。あらためてマリアがテオトコス(生神女/聖母)である意味も再確認。 上山安敏…

先ず隗より始めよ

『在日朝鮮基督教会の女性伝道師たち 77人のバイブル・ウーマン』(新教出版社)の第2章 成長期(1925〜1933)まで読む。日本で生まれた子どもたちが母国語を学ぶ場として教会が用いられた様子、幼稚園設立の経緯などを学ぶ。神戸女子神学校など、日本の神学…

解釈を手放す試み

以下、ウ・ジョーティカ『自由への旅』より。“菩薩(ボーディサッタ、ゴータマ・ブッダの前身)の物語をいくつか読んだ時、私は菩薩たちが、完璧な場所に住むことは望まないことに気がつきました。なぜでしょう? 推測するのはとても簡単なことだと思います…

今は戸惑おう

呉寿恵『在日朝鮮基督教会の女性伝道師たち 77人のバイブル・ウーマン』(新教出版社)を読み始める。朝鮮半島における女性の位置づけの歴史が説明してあるところで、ふと思い出した。 ある在日韓国・朝鮮人系の教会に委員会で出かけた時に、女性たちが豪華…

裂け目

下世話なQ&A「洗礼を受けたいのですが、受けられません。どうしたらいいですか?」 わたしも完全に同じ意見ではないけれど、共感。地方教会では長男の嫁とか檀家の家系の関係で、個人の意志に関係なく物理的に洗礼不可能、という方も多くおられる。 わた…

間接性のもどかしさ、ゆたかさ

おととい教文館で買った『ミニストリー』冬号が届いた。特集「学校と教会のあいだ─次世代に何を託すか」に、いろいろ考えさせられた。学校で宗教主事や聖書科の教師として働く側の立場から山本真司氏、嶋田順好氏、磯貝暁成氏が、そして教会専任の牧師の立場…

踊躍歓喜のこころ

連れ合いが気を利かせて、知らぬ間に『親鸞 いまを生きる』(朝日新書)という本を買ってテーブルに置いておいてくれた。姜尚中、田口ランディ、本多弘之の三氏がそれぞれ短い随筆を寄せている。まずは姜尚中の文章を読んだ。『悩む力』『続・悩む力』に書か…

「言葉」それ自体

“一九六〇年代、来日したパウル・ティリッヒという宗教学者が、安田理深先生と対話をしたときに、「私はどうしても宿業というものがわからない」とおっしゃいました。キリスト教では、この私というものは神様がつくったものであり、原罪をもらったと考える。…

絵空事。でも。

建国記念日についての議論をタイムラインで拝読。前任地で行われた集会のことを思い出していた。靖国神社や米軍基地の問題に深く関わられた牧師さんを、講師にお呼びしたことがあった。彼はあるエピソードを語った。若い頃、一所懸命に靖国と戦前との関係を…

信仰と信じる人と

今日はツイッターで知り合った人たち3人と現実に食事をした。クリメント神父さまにお会いした時もそうだったが、やっぱり顔を合わせて語り合うのがいちばんだと痛感。ツイッターという媒体をとおして、このような出会いを与えて頂いたことを主に感謝。ニー仏…

保守について

ベネディクト16世は「保守的」であったとは思う。著作においても。けれどもその「保守的」であること、つまり使徒・教父時代を顧みる徹底した姿勢から書き記されたいくつかの著作は、結果的にプロテスタントのわたしにもゆたかな示唆を与える「エキュメニカ…

教皇の退位

ベネディクト16世退位するんだなあ。彼の『キリスト教入門』はわたしにとっては入門どころじゃない神学書で、ブルトマンらの非神話化神学を批判的に超克する試みが、膨大な資料の参照によって検証されていた良書だった。プロテスタントへの敬意も強く感じら…

郵便受けに、女神を信奉する宗教団体のチラシが。難しい漢字を並べた名前の女神。で、チラシ自体はイエス・キリストの顔がバーンとあり、イエスがその女神に宛てて「すんません、メシアと呼ばれるのはずっと辛かったんです、わたしは未熟です、どうかあなた…

発話の醍醐味

洗礼を受けてまだそんなに経たなかった頃、無神論の友人が「おれは地獄に行きたいな」と言う。理由を訊くと、「ジョン・レノンや澁澤龍彦や、面白そうな連中はみんな地獄に堕ちたんやろ?冗談もろくに通じない退屈で糞真面目な奴しかいない天国より、よっぽ…

やわらかいおなか

わたしが「人殺しはよくない」と言ってみる。それだけでは発言の可能性に留まっているだけで、何も言ったことにはならない。相手は「そうだね(それで?)」でおしまい。わたしが「○○事件における、君の発言の××な部分について、わたしには異議がある」と言…

他人を測定するのでなく

以下トマス・ホプコ『正教要理』より。“正教の神学によれば、神の像を得ることは、造られざる神の像であるハリストスに似るということであり、神の神°的な属性のすべてにあずかるということです。聖師父たちの言葉によれば、神の像を得るということは、私た…

驚きとしての「予定」

アウグスティヌスの予定説に関するツイートがタイムラインにあったので、考えていた。阪神淡路大震災で、中学のクラスメイトが亡くなった。彼はすごく貧しく苦労していた。わたしは牧師に尋ねた。なぜ彼のような人間が、苦労の末に亡くならねばならなかった…

久しぶりにハンバーグを焼いた。やっぱりパン粉でないと、と実感。こないだパン粉が無くて、小麦粉で代用したところ、むっちり重い焼き上がりで不味かった。パン粉だからふんわりする。 ムニエルを焼こうとして小麦粉が無くて、片栗粉をはたいたことも。あれ…

“「死は、それが「存在する」限りでは本質的につねに私のものなのである」 ハイデガー 『存在と時間』”(死の名言bot) ハイデガーは、死は誰にも代わりに死んでもらえないと、死の代替や体験の不可能性を語ったけど、和辻哲郎は『倫理学』のなかで、そんな…

わたしにとって「なぜあなたはキリスト教を信じているんですか」という質問は、よく言われる譬えではあるけれど、やっぱり「あなたはこの女性のどこが気に入ったんですか」という質問に限りなく近いように感じられる。つまり、自分が把握可能な意味での「な…

言語ゲームのルールの運用について考えようとすると、必然的に何を話し合っているかの「何を」についてではなく、「いかに」「あなたはどのような文脈で」「わたしはこのような文脈で」という論点に意識が集中する。しかし「何を」に深くコミットしている人…

ツイッターあれこれ

直感的な批判が的を得ることも、あるにはある。けれどもその批判を発展的に、ないし生産的に相手と分かち合うためには、批判対象に対しての敬意を、「相手から学ぶ」という現実の行為によって表さねばならないだろう。相手から勉強させてもらうほどに自己の…

まるで死生学

タイムラインにザビエルの話題がよく出てくるので、河野純徳訳『聖フランシスコザビエル全書簡』(平凡社)を開いてみた。こんな手紙が。ポルトガル国王ジョアン三世宛。“主なる神がその無限のご慈愛と慈しみとをもって、陛下の御心のうちに神の聖旨を感じさ…

「絵空事」においてこそ

矢川澄子『兎とよばれた女』、薄っぺらいのにやけに読むのに時間がかかった。しんどいので避けてたんだろうな。登場人物に澁澤龍彦や谷川雁があまりにも見えてしまい、もはやファンタジーとしては読みにくい。澁澤になんども堕胎を強要された矢川の痛みの消…

同情なのか共感なのか

さきほどある方とツイートしていてあらためて認識したこと。発話と発話者の人格とを分けることの難しさ、ないし、発話から人格を抽出することの難しさ。たとえば何か自分にとって手厳しい反論があった場合に、その発話そのものに応えるのか、それとも発話の…

でも不思議だなあ。ジャジューカ聴いても、シタールの演奏聴いても、もう「ロック」のイメージから逃れられない。結局、ジョージ・ハリスンとかブライアン・ジョーンズの「耳」を通してしか聴けないんだろうな。文脈移植の妙。