そこにすべてが表される

横浜美術館 横浜でキャパとタローの写真展を観る。沢田教一らの写真も。沢田の写真集を買って見直したところ、なんか黒が薄い。写真であっても、展覧会場の「原画」と図録とでは違うんだなあ。 神学生時代、教会実習のとき父親譲りの重いAE-1を提げて行った…

補足 癒しの間‐主体性

イエスが盲人の目を「癒した」場合、本人一人が外科的に回復したものの孤独に苦しんだのではなく、彼も彼の周囲の人々も一緒に驚き、一緒に喜び、その後も彼の目のサポートを周囲の人々は継続し、彼はその回復と、そんな自分自身とイエス、また周囲の人々と…

当事者一人が癒されても孤独なだけ

オリヴァー・サックス『火星の人類学者』の、“「見えて」いても「見えない」”を読む。以前ある方から、目の手術をした結果見えるようになり、すると視覚が恐ろしくて、白杖を用いていた時よりもむしろどこにも行けなくなった実話を聞いていたが、より詳細で…

実家で新幹線までの時間にテレビで『パットン大戦車軍団』を観ていたが、主演のジョージ・C・スコットってあのとき43歳くらいなのか。俳優ってすごいな・・・ 『史上最大の作戦』とか、『ナバロンの要塞』とか『ナバロンの嵐』とか、『バルジ大作戦』とか、…

変容と受容

オリヴァー・サックス著、吉田利子訳『火星の人類学者』(早川書房)読了。日常生活の困難さという意味ではレベルがまったく違うが、少なくとも、このわたし自身が抱えているいくつかの強迫的な観念や癖については、「直/治すべき」ものと考える必要はない…

分からないが分かる 分かる/分からないの二分法それ自体の浮き彫り

ツイッターで知り合ったドロレスさんお薦めのオリヴァー・サックス『火星の人類学者』(早川書房)を買った。読むのが楽しみ。 『火星の人類学者』、画家I氏の大脳性全色盲のケースを読む。後天性であるにも関わらず、今現在、色が分からないだけでなく、記憶…

デウス・エクス・マキナ

『ウルトラマン』第37話「小さな英雄」を観る。イデ隊員の問いをとおして、「機械仕掛けの神」的なウルトラマン介入による解決の矛盾に突っ込みを入れている。ウルトラマンに頼めば、科特隊なんか必要ないじゃないかと。製作者側にも葛藤があったことを窺わ…

ゲルダ・タローのタローって、岡本太郎からつけたのかぁぁ!!*1 タローって変わった名前だなあとは思っていたけど。どこでどんなふうに岡本太郎を知ったのかなあ。彼はパリでジョルジュ・バタイユから民俗学かなんかを学んでいた時期があったはずだ。 *1:ふ…

宣伝とはまた異なる「広報」の概念

母校の神学セミナーに出席した友人が録音を郵送してくれた。さっそく一部を聴いてみた。何に取り組むのかは教会のある地域や規模によって異なるだろうけれども、どのようなコンセプトで、どんな心構えで教会の門戸を開くのかという眼差しは意識化させてもら…

明日は久しぶりに帰省し、母校の同窓会に出席する。でも実は手術後の母と初めて家で会えるのが楽しみなのだ。次に会えるのはいつか分からないし、時間を大切にしたい。

何も意味していなかった

顔は泣きながら笑っていたり、笑いながら憤怒を秘めていたりする。それが目に見えて分かるから、対話者は畏れを相手の顔に抱く。矛盾律が矛盾するそのままに真理として生きる場は、あなたとの出会いそのものだ。 『ミニストリー』附録『七つの大罪』(1952年…

『梁塵秘抄』を読んでいると、殺生ゆえに漁師などが救いから遠い職業とされていたことが窺える。ペトロたちも、律法を守りきれない仕事だったゆえに罪人とみなされていたという説があったのを連想。 最近連れ合いが少女絵に興味を持っている。以前に松山近郊…

ふと、ポロックのアクションペインティングのことを宮川淳が「カルヴァンの予定説的敬虔さ」と表現していたのを思い出した。アクションペインティングは、ポロックの意図と、絵具の飛沫の偶然性との弁証法だ。それが摂理的調和によって作品となる。 神学を学…

無機と有機

安部公房『内なる辺境』を読む。ユダヤ人排斥について“その毒素は、ユダヤ人という外からの侵入者によって持ち込まれたものではなく、じつは本物の国民という「正統神話」自身の内部からにじみ出して来た、おのれの体内の毒だったのだから。”(88頁)。 自ら…

ここに教会があります

キリスト教記者クラブのオフ会に参加。先々月に続いて二回目。今回も面白かった。次回は四月なので、参加できるのはもう今日が最後だろう。前回に続き、インターネットにおける伝道ないしキリスト教的価値観の共有の可能性と問題点について発題があり、質疑…

わたしを見て下さい、に先立つ

主からの呼び掛けに対してアブラハムが「わたしはここにおります」と答える。「ヒンナニー(わたしを見て下さい) 」と。レヴィナスはこの応答が無限を証ししているのだという。レヴィナスは『存在するとは別の仕方で』の注のなかで、証しする(マルチュレオー…

繰り返し猿真似る

本を読んでいて、「これは自分が書いたのか?」という傲慢な思いを抱くほどに「自分の言葉」と出遭うことがある。それは既視感なのだろう。自分がかつて語ったことがある/まさに語ろうとしていた言葉だと。だが事実としては、テクストに出会うまではその言…

選び取るのではなく、目が離せなくなる

自分が聖書について語る場合、聖書という他者に出会っているとも言えるが、聖書へと導いてくれる神学者なり哲学者なりという他者と出会っているとも言える。 もちろん牧師として、可能な限り先入見を排して、人々と御言葉を分かち合いたいと意識している。し…

固有の出会い─名乗りもしない相手についてゆく

前任地時代にお世話になった先生から励ましのお電話を頂く。嬉しく、また、襟を正す思い。これだから方々に手紙や葉書を出すのはやめられぬ。 このままでは溜まるので『カラマーゾフの兄弟』録画を見る。慣れて来たらだんだん面白くなってきた。親父の絵に描…

明るい絶望

録画しておいた『歴史秘話ヒストリア』の空海*1を見る。うーむ。『性霊集』か。欲しい。その本文に触れてみたい。でも値段が・・・・講談社学術文庫あたりで出して欲しいなあ。 それにしてもあの「益田池碑銘(大和州益田池碑銘並序)」という書の空海の文字…

ガス抜き

レヴィナスの倫理って、自己が他者に対して無限に負債を持つという非対称性から出発するんで、それを日常生活に適用しようとするとめちゃくちゃしんどいところがある。たぶんレヴィナス自身が「生き残ってしまった」という無限の負い目を感じていたんだろう…

坂本幸男・岩本裕訳注『法華経(中)』(岩波文庫)の、ようやく「授学・無学人記品」まで読み終わる。その前の「五百弟子受記品」に出てくる譬えが面白かった。 ある人が友人が泥酔するあいだに、その人の衣の裏に高価な宝を縫い込む。酔いからさめた彼はそ…

自由の風にさらされ

聖公会の司祭の友人と、久しぶりにスカイプ。わたしが最近出会った正教の神父の話をしたら、「お会いしたいなあ」と喜んでくれた。転居までにもう一度ニコライ堂に寄ることがあったら『正教要理』を買って、贈ってあげようと思う。彼の大好きな教父たちから…

聖公会の友人と話していたときに、ニカイア・コンスタンティノポリス信条のFilioque(子からもまた)問題の話題になった。彼が言うには、イギリスにキリスト教を伝えた聖人には東方でも聖人とされている人もいる。聖公会では、正教の方々と礼拝するときはFil…

相手を活かす批判

内田樹『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫)読了。他者に対して圧倒的に罪責を持つ自己という、関係性の不均衡から出発する倫理を、レヴィナスと自分とのあいだに師弟という圧倒的な関係性の不均衡を持つ内田が語る、だから面白い本だった。 ボーヴォワー…

コリント、ガラテヤ、エフェソ、・・・・・

『ミニストリー』の濱野道雄「教会のライフサイクルを考える」を興味深く読んだ。前任地で、誌名は忘れたがいのちのことば社の記者から「地方伝道の行き詰まりについて」といったようなテーマで取材を受けたことがあり、そのときに初めて「教会の寿命30年説…

あいだをつなぐ

調べなきゃいけないことがあり、辞書を開いていた。ディアコノスについて。「仕える人」と訳されたり「執事」と訳されたりする言葉。場合によっては料理の給仕だったり。他にもメッセンジャーとか、要するに「あいだをとりなす人」という意味合いらしい。 た…

自分が考えることは、先に誰かが考えてくれている

トマス・ホプコ著、ダヴィド水口優明訳『正教入門シリーズ1 正教要理』(西日本主教教区)を読了。ペリカンの『キリスト教の伝統 2』のなかで複雑に論考されていた東方の教理の歴史を、分かりやすく復習、整理できた。 子なるキリスト、聖霊を被造物とみな…

アイデンティティを死守した人々

呉寿恵『在日朝鮮基督教会の女性伝道師たち 77人のバイブル・ウーマン』(新教出版社)読了。「第4章 受難期(1940〜1945)」は改名や日本語の強制、日本基督教会そして日本基督教団への吸収などの、苦難の歴史が語られる。巻末には3・1独立宣言に影響を与え…

たどたどしさが活かされる道もある

さて、今日はふだんと違う教会にて大切なお仕事だ。マタイ4:1−11.自分を神から引き裂く悪魔;ディアボロス(ディアバロー)を、マリアがそうしたように神とともに思い巡らし(シュンバロー)ながら、悔い改めて説教にあたりたい。苦しむ人、泣いている人の…